秋田高教組 掲示板

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高校の現場で生じている問題について、話会いましょう。 様々な問題点を共有しましょう。
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平和教育の教材のご紹介 水野晴仁 URL

2014/12/04 (Thu) 10:36:47

愛教労の水野です。

平和教育のための教材を作りましたので、ご紹介させてください。

本教材は、戦争体験者の皆様の証言集という形を取っています。

元関東軍第六国境守備隊の兵士であった橋詰四郎さん(豊明市在住、89歳)と、
シベリア抑留者愛知友の会の皆様、京都市舞鶴の舞鶴記念館のご協力を頂き、
作成しております。

橋詰さんは、愛知県内の公立中学で戦争体験の語り部としてもご活躍されています。

本教材では、橋詰さんがこれまでに書き留められた様々な手記と、橋詰さんが毎年
ご自身で企画、運営されている「戦争体験を語り継ぐ会」で公演をなさった方々の、
貴重な証言を掲載しました。


以下のサイトにて、ダウンロードができるようになっています。
(WORD形式とPDF形式の2種類で掲載しております。)

http://www.geocities.jp/mizney_land/

また、ダウンロードの方法についても、サイト内に記載しております。


300ページ越え、20万文字の特大ボリュームですが、当時の様子を伝える写真、
イラスト、地図などをふんだんに盛り込んでおります。

また、各章は独立しておりまして、どこからでもお読みいただくことができます。

原則、公文書で使われる漢字を用い、難読な漢字や言葉については、読みと意味、
解説などを入れてあり、小学校の高学年でも読破できるように配慮しました。

・・・・

内容については、以下のようなものになっております。


第1章は橋詰さんの半生の物語です。橋詰さんの幼少期から始まっています。
軍国時代の日本がどんな空気だったのか、そういうことも感じ取ってください。
軍隊に入るとどうなるのでしょうか。「初年兵いじめ」といって新米の兵隊は、
先輩兵士からボコボコにされます。軍隊生活がどんなものなのかを知ることが
できます。日本とソ連との激しい戦争が起こりました。どうやって敵兵士を殺し、
どうやって生き残ったのでしょうか。その様子がリアルに語られています。
シベリアに連れて行かれ、収容所に入れられて、ロシア人といっしょに
機関車修理工場で働く様子。多くのトラブルが発生します。
どうやって日本に帰ることができたのでしょうか。日本に帰国したその日、
何が起こったのでしょう。やっと帰宅して、その後どんな生活が待っていたのでしょうか。
そういうことが全部分かります。

第2章以降は、橋詰さんのお仲間たちの証言集です。

第2章の証言者は、初年兵の橋詰さんを可愛がった先輩兵士です。
これを読めば、当時、満州にいた兵士たちが、どのようにソ連軍に捕らえられ、
どのように連行されたのか。そして、ソ連の地で、どのように労働させられ、
多くの人々がどんな死に方をしたのか。さらに病気になった人たちがどのような
扱いを受けたのか。そうしたことが手に取るように分かります。
この証言をした夏梅さんは、ソ連で病気になり、中国に強制送還され、
その後体力が回復しても帰国できず、中国で炭坑労働をさせられたという
経歴の持ち主です。中国人兵士や中国の一般市民との交流についても詳しく書かれています。
この章を読むと、少し中国人に対するイメージが変わるかもしれません。

第3章は中国で生体実験(人体実験)をしてきたことを告白されている元軍医の方の証言です。
日本人は中国でどんなことをしたのかを「加害者」としての視点から語っています。

第4章は「初年兵」の悲劇の話です。軍隊に入って、人を殺すための訓練を受けるというのは、
どういうことなのか。それが分かります。

第5章は中国に軍人として7年間もいた人の話です。長い長い軍隊生活が、
どんなに理不尽なものかを知ることができます。

第6章は日ソ戦の死闘を、危機一髪で生き残った人の話です。
ろくな武器もない関東軍の兵士たちが、爆弾を抱えて敵の戦車に突入する「自爆攻撃」を行う様子が分かります。

第7章は看護婦さんのお話です。満州の病院に勤務して、傷病兵士の治療に当たっていた看護婦さんたちが、
日ソ戦の最中にどんな活動をし、敗戦後、どうやって日本に引き揚げてきたのかが分かります。

第8章は、当時満州にいた民間人の日本男性が、兵隊と同じようにソ連軍に捕まり、
シベリアに連行されてしまったというお話です。

第9章は元軍医の話です。日本軍の軍医がシベリアに抑留され、病気になった戦友をどのように治療し、
死んでいく戦友たちとどのように関わったのかが詳しく語られています。

第10章は元憲兵の方の証言です。日本兵としてシベリアに抑留され、その後、
戦争犯罪人として中国に引き渡された人の話です。中国の収容所での壮絶な体験の証言には胸を打たれます。

第11章は、極寒地シベリアで森林伐採をしてきた人の証言です。極限の収容所生活をどのようにして生き抜き、
どのように日本にたどり着いたかが克明に語られています。

第12章は、シベリアに何と11年も抑留されていた「初年兵」の証言です。どうしてそんなに長い間抑留されたのでしょうか。
ソ連での裁判の様子、収容所内での囚人生活、ソ連からの引き揚げ船の最終便で帰国されたときの模様などが詳しく
語られています。

第13章には多くの紙面を費やしました。「黒河(こっか)事件」は、おそらくほとんどの日本人が耳にしたことがないと思います。
ソ連に連行され、そこで病気になった人たちは、中国の「黒河」という町に送還されました。中国に棄てられた病人たちが
黒河の収容所で起こした驚愕(きょうがく)の事件を、これほど詳しく説明した資料はないと思います。章末には、
橋詰さんが厚生省で見つけ、コピーが許されないために3日かけて鉛筆で書き写してこられた貴重な資料も掲載しました。
これまで表に出てくることのなかった、暗く重い証言の数々に、言葉を失うことでしょう。

第14章は中国少数民族オロチョンに拉致され、オロチョン族として生きた日本人の話です。
この人は満蒙開拓義勇軍として15歳で満州に渡り、17歳のときに日ソ戦に巻き込まれてソ連に連行され、
収容所で死亡した人々の遺体をトラックに載せる仕事をやらされました。未成年であることを理由に中国に戻された際に
オロチョン族に襲われ、オロチョン族と共に生活し、後にオロチョン族の指導者となった日本人の人生の記録です。

第15章は、ソ連から最後の最後に日本に帰国した人の話です。敗戦直後に妻子と引き裂かれ、
ソ連に囚人として連行されて帰国は許されず、ソ連人として生きてきた人の人生です。



第16章は日本人従軍慰安婦の証言です。中国に渡り、日ソ戦に巻き込まれ、九死に一生を得て日本に帰国するまでの
壮絶な足取りを語ったものです。大戦中、そして敗戦直後の中国で、慰安婦がどのような扱いを受けながら帰国したのかが
分かります。

第17章は、ソ連や中国から引き揚げてくる日本人たちを、京都の舞鶴港で受け入れていた地元婦人会の主要メンバーで
「引き揚げの母」と呼ばれた女性の証言です。日本からの第一回引き揚げ船で起こった悲劇には、だれもが絶句すること
でしょう。

第18章には、日本人捕虜たちが帰国する際にソ連の指導者スターリンに宛てて作成した「感謝文」を記載しました。
この資料もおそらく国内では初公開となります。無理やりソ連に連れて行かれた日本人捕虜がソ連の指導者になぜ
「感謝」するのか、だれもが疑問に思うでしょう。この章で、そのあたりの事情を知ることができます。
ロシアの国立公文書館に所蔵された「感謝文」の草案を、命がけで日本に持ち帰った人がいたからこそ読むことができる
資料です。

第19章は、全国強制抑留者協会 愛知県支部 シベリア抑留者愛知友の会が主催された「シベリア抑留関係展示会」の
出展物を掲載しました。シベリアの抑留の「現実」を示す貴重なイラストや収容所の写真を掲載しました。
日本人捕虜が極寒の地で用いた装備品の数々もご覧になれます。

以上


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